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鄭和艦隊 ③ 第2次ー6次航海

鄭和艦隊 ③ 第2次ー6次航海 [2021年11月10日]

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第2次航海(1407-1409)は第1次同様のコースを進みインド西岸のカリカットに到達した。

第3次(1409-1411)は前回と同じくカリカットへ行き、このインド西岸への航路を確立した。

第4次航海は、第3次航海で帰国した後1年半後十分な準備を行い、1413年に出発した。まずカリカットへ行った後さらに西に進み、ペルシャ湾、ホルムズに到達した。さらに分権隊はアフリカ東岸を南下しケニアに到達し、1415年帰国した。そして多くの国や地域に朝貢させることに成功した。

 

航路図

 

次の第5次航海には特別の任務が与えられた。新たな朝貢国の首長や要人を完成した紫禁城に招待することが決められたので、これらの首長や要人を中国に連れ帰ることが主要任務であった。中国に来た要人たちは北京を訪問し、紫禁城で1か月接待された。

この航海で鄭和は各地の珍しい動物、ライオンや、ヒョウ、ダチョウ、シマウマなどをつれ帰った。さらにアデンから贈られたキリンは中国では君主が仁政を行う時に現れる瑞獣「麒麟」に通じることから永楽帝を大いに喜ばせた。

 キリン

第6次航海(1421-1422)は各国の要人を送り返す航海で、セイロン、カリカット、アデン、ケニアと順に各国を訪問した。

 

鄭和はアフリカ沖でで隊を4つに分け、自分が乗る本隊は報告のため中国に向かったが、副官の「洪保」、「周満」、「周鼎」の3人に艦隊を分けそれぞれ指揮させ、さらに先の国の調査を命じた。

 

鄭和の帰国後永楽帝は崩御した(1424年)。第4代皇帝「洪熙帝」は外政の中止を布告し、海禁政策をとった。鄭和艦隊の外征は国力拡大には貢献したが、膨大な費用が掛かり、財政を圧迫した、洪熙帝は政策を180度転換して農本主義をとり、鄭和艦隊を消滅させた、艇体は解体あるいは焼却され、航海日誌などの記録、関連資料は宮殿奥深くの書庫に蜜封され門外不出とされた。これらの資料はその後行方不明となり、現在も見つかっていない。


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