FRPボートの始まり(続き) [2020年05月08日]
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クリスクラフト社は1874年にChristopher Columbus Smithが創業した古いメーカーである。マホガニー製のクルーザーを得意としていて、戦前そして戦後(1950,60年代)にかけて圧倒的なシェアを持つ大メーカーで、当時最新の素材FRPを小型ボートに採用した、トップビルダーの面目躍如である。
FRPボート専業メーカーとしては、Bob Hammondがグラスロン社(Glastron)を1956年にテキサスで立ち上げた。Bobは第2次世界大戦の後ダグラスエアークラフト社で最新のプラスチックを使用した治具制作部門に勤め、その後アルミボートメーカーに移り、さらにFRPの専門家とFRPボート造りの研究を行った。 そして1956年テキサス州アーリントンのガレージを借りてFRPボートの製造を始め、その年に26隻販売した。翌年1957年モデルとして流麗なスタイルの「Fireflite」を発表、4色のデッキカラーを選べることも好評でベストセラーとなった。
GLASTRON 1957Model FIREFLITE
クリスクラフトもグラスとロンも小型ボートであったが、FRPの大型クルーザーはハトラスの41フィートクルーザーが最初である。Hatterasの創業者Willis Slaneが自宅のあるノースカロライナ州High Pointで大型ガレージを借りて1959年に製造した。
アメリカの大統領になるには「丸太小屋」で生まれて、資産家の令嬢と結婚するのが早道という話があった。第7代大統領アンドリュー・ジャクソン、第9代ウィリアム・ヘンリー・ハリソン、第16代アブラハム・リンカーンもその道で大統領になった。
ボートの業界では「貸しガレージ」でボートを造り、アメリカンドリームを手中にするのが成功の道であった。Bob Hammond、Willis SlaneそしてCharies CarterとGeorge Verhargenのコンビ(Carver Yachtsの創業者)、Leon Slikkers(Slickcraftを創立)もこのコースで成功している。