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エビンルード物語 ③ ELTOの開発 そしてOMCへ

エビンルード物語 ③ ELTOの開発 そしてOMCへ [2020年07月01日]

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販売台数が増えてくると資金面など経営上の課題が増えてくる。1914年OleはパートナーのChris J. Mayerに50%の権利を渡し、彼に経営を任せてしばらく身を引いていた。Meyerはその後上手に経営を行ったが、販売台数は1913年をピークとして、1914年 7180台、1915年 6222台と下がっていった。

 

ELTO

1919年Oleは全く新しいコンセプトのエンジンを考案した。シリンダーブロックにアルミを使うアイディアである。しかし当時のEvinrude Motor社のMyer社長はこの案に投資することに不賛成であったので、OleとBessは新会社を立ち上げることにした。

1920年OleとBessは新会社ELTO社(Evinrude Light Twin Outboard)を設立し、ELTO 2ストローク、2シリンダー、2HPを発売した。この船外機はアルミシリンダーブロックを採用し重量はわずか48ポンドであった。当時のEvinrudeシングルシリンダー2HPが72ポンドであったので、ELTOは画期的な軽量化に成功したことになる。

 ELTO 2シリンダー 2HP

Oleはさらに馬力アップに努め、1926年にSuper ELTO Twinを、さらに1928年には4シリンダーELTO  Quad 18馬力を開発した。

 ELTO Quad 18HP

ELTO Quad 18HP はハイドロプレーンに取付て45mphを記録した

 

OMC

1928年Evinrude Motor社はBriggs & Straton社に買収された。同社のリーダーStephence Foster Briggsはさらなる強力な船外機メーカーをめざしてシンジケートを作り、Evinrudeに加えELTO、Lockwoodの2社を統合して1929年OMC(Outboard Marine Corporation)社を設立した。S.F.Briggsが会長に、Ole Evinrudeが社長に、そしてまだ若かったがOleの息子Ralphが輸出部長に就任した。

さらにS.F.Briggsは当時トップメーカーであったJohnson Motors社の買収に成功し、名実ともに世界一の船外機メーカーになった。

東京ボート倶楽部や当時のモーターボートに使われていたのはこのころ輸入されたEvinrudeと思われる。

 

その後OMCは20世紀の船外機業界をリードし続けていたが、1990年代後半に排気ガス規制の問題が船外機業界の大きな課題となった。ヤマハ発動機ほかの日本勢は4ストロークを採用した。米国のOMC、Mercuryはインジェクションタイプの2ストロークを選択した、(Mercuryは後に4ストロークに変更)OMCは多額の投資をしてインジェクションエンジンの開発に取り組んだが、実用化に失敗し、2000年に破綻してカナダのボンバルディエ社に買収された。ボンバルディエ社はその後独自の技術で2ストロークインジェクションタイプの開発に成功しE-Tecと名付けた。このE-Tecを採用したEvinrude船外機(15-300hP)は現在も生産、販売されている。E-Tecエンジンは4ストロークに比べて、トルクが高く、燃費も良いそして排気ガスCOも少なく優れている。しかし高度で精密な機械なのでE-Tecに習熟したメカニックがいないエリアでは販売できない。アメリカ国内では普及しており、加速性が良いので特にバスボートには多く採用されている。

現在のEvinrude

 

1907年から現在まで110年以上続いている船外機のブランドはEVINRUDEだけで、Ole Evinrudeが「船外機の父」と呼ばれるゆえんである。

しかし、「まえがき」で伝えた通り、この5月28日に生産中止が決定した。113年の歴史に終止符が打たれたわけであるが、Ole Evinrudeの功績には変わりがない。

Evinrude   1907 ~   2020

Johnson   1921 ~ 2007

Mercury   1939 ~

Tohatsu   1956 ~     前身のタカタモーターで1935年に3馬力を生産、その後中断

Yamaha   1960 ~

Honda    1964 ~

Suzuki    1965 ~

 


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