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日本のボート事情

日本のボート事情 [2020年11月19日]

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戦前、昭和初期のボート事情については「東京ボート倶楽部」で述べておいた。その後について思い出すたびに少しづつ綴ってゆきます。

 

天城船外機ができた後、昭和10年(1935年)ごろにはハリマモーター、あさひ、キヌタ、ヒノデ、友野、トーハツなど多くの船外機が発売された。当時は高価で一部のお金持ちが使用するだけであったが、やがて盧溝橋事件(1937年・昭和12年)を発端とするシナ事変が起こり、多くの船外機は軍事用に特化していった。そして終戦と共に姿を消してしまった。唯一戦後も生産が続けられたのはキヌタ船外機で、これは1951年(昭和26年)に認可された競艇用のエンジンに採用されたためである。尚、トーハツは前身のタカタモーターが製造したもので、現在のトーハツ船外機との関連性は無い。

 

戦後最初に市販された船外機はトーハツOB型1.5馬力で、1956年(昭和31年)10月に発売された。

このトーハツ1.5馬力を従兄弟が1957年に買って葉山で自作ボートに付けていたので、私も使用したことがある。初めて使った思い出の船外機だ。

 

その後ヤマハ発動機が1960年にP-7船外機を発売,翌年P-3・63cc、3馬力を発売し船外機の生産販売が軌道に乗り出した。

この時代米国では2気筒40馬力が使われていたが、船外機は輸入制限品目・IQ品目(Import Quoter 輸入割当品目)で輸入することはできなかった。唯一の入手方法は、親しい駐在米国軍人からひそかに横流ししてもらうことであった。1959年にこうして入手されたジョンソン9.9馬力、エビンルード35馬力を使用したことがある。

 

私がヤナセに入社した1966年でもIQ制度は残っていたが、10馬力未満、20馬力以上はAIQ品目(自動割当品目)になっていたので申請をすれば輸入することが出来た。10馬力から20馬力の間は日本のメーカーが開発途上であったので国産保護のため輸入規制が続いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 


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