日本のボート事情 ③ 東京ボートショー [2020年12月25日]
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1960年頃㈶舟艇協会の中で、日本でもボートショーをやろうじゃないかという話が持ち上がってきた。しかし㈶舟艇協会は技術中心の団体なので販売促進事業はそぐわないということになった。そこで有志が集まり民間団体「日本舟艇振興会」を設立した。そしてこの「日本舟艇振興会」主催のもと第一回「東京ボートショー」が1962年4月17日千駄ヶ谷の東京都体育館で開催された。出展社は29社、来場者15,000人、入場料は30円であったそうである。
第一回 東京都体育館
私が初めて参加したのは1966年(昭和41年)の第5回からで、この年も会場は東京都体育館であった。第1回、2回は東京都体育館、第3回、4回は晴海見本市会場、そして第6回からはずっと晴海になった。この第5回「東京ボートショー」の出展社は30社で、主なところではアキレス、油壷ボートサービス、有田商事、石川島播磨重工業、永大産業、スズキ、西武自動車販売、辻堂化工、トーハツ、富永物産、中村船具、本田、ヤナセ、ヤマト、ヤマハ、リンフォース工業であった。
1971年の第10回ボートショーは記念すべき展示会であった。前年の1970年5月「舟艇振興会」は運輸省(当時)に認められ、公益法人 「社団法人日本舟艇工業会」となった。ボートショーはヨット、ボートを広く一般に知らしめる、このことが公益と認められたのである。(もっとも、天下り先を増やすというもくろみもあったともいわれている)
この第10回は、「社団法人舟艇工業会」が主催する記念すべき最初のボートショーであった。
「社団法人舟艇工業会」では宣伝にも力を入れ、銀座の一角晴海通り沿いにクルーザーヨットを展示し、大きな案内看板も設置された。
銀座に展示されたヨットと大看板
また、晴海の会場では、ヤマハが特設プールを設置し、初出展となるSTR-25FBを中心に大型クルーザー3艇(当時は20フィート以上は大型ボートと言われていた)を浮かべて展示し度肝を抜いた。STR-25FBは翌年発売され大人気モデルとなった。
ヤマハ STR25-FB他を浮かべて展示
1973年3月21日~25日の第12回ボートショーはさらに盛大となった。出展社が111社に増えたため1館では足りず、4館を使用して開催された。この年から晴海のメイン会場・東館(ドーム館)の使用が始まった。向かい側の西館他2館を加え4館でのボートショーは盛大であった。
晴海展示場
東館(ドーム館)使用開始
1962年の第1回から1973年の第13回までボートショーは年々拡大し、またボート愛好者も一部のお金持ちからさらに広い範囲に拡大、順調に普及していった。
しかし、良いことばかりは続かない、1973年に第一次オイルショックが起こり、「ガソリンを垂れ流して遊ぶモーターボートはけしからん」という世論がおこり、翌1974年の第13回ボートショーは中止となってしまった。