日本のボート事情 ④ 日本式フィッシングボートの時代 [2020年12月31日]
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1973年の第一次オイルショックの発生で日本のボート事情は大きく変わってしまった。それまで欧米ボート先進国の流れに乗って発展してきたボーティング、ランナバウト+水上スキーという遊び方は、オイルショックと共にSTOPした。
そして、低馬力エンジンでも滑走しやすい和船型の船が注目された。1960年代から一部の地域、広島あたりでは和船をレジャー用の釣りボートとして使用していた。和船は胴の間(コクピット)が広く釣に使いやすい、複数の釣り人が乗っても問題が無かった。当初はティラーハンドルの船外機であったが、やがてハンドルボックスを据え付けてリモコン操作に代わり、日よけの屋形なども付けて立派な釣りボートに改造されていった。和船型は船底の中央部が平らなので滑走しやすい、1972年頃から日本の船外機も20馬力時代に入ったので和船型には十分の馬力であった。また同時期にFRP和船も多く作られるようになったので、レジャー用の釣りボートとしての普及が急速に進んだ。
FRP和船
さらに新しいアイディアが加えられた、その一つは船底を二重にした自動排水型コクピットである、これにより雨水がたまることが無いので係留保管が可能となった。もう一つは船首部分に小さなキャビンを付けることであった。寝泊りできるほど立派なキャビンではないが、釣り竿などの物入れやトイレスペースとして重宝であった、早朝の出港にそなえて仮眠をとることもできた。こうしてできた自動排水コクピットとカディーキャビン付きの日本式フィッシングボートは大人気となり、瞬く間に全国に普及していった。
和船型フィッシングボート 屋形付き
ここでこれらの釣りボートを購入したオーナーの年代に注目したい。例えば1975年に40歳だった人は1935年生まれ、50才だったら1925年生まれである。すなわち1930年生まれを中心とした世代が釣りボートのオーナーになったことになる。この世代は戦争には行っていないが、育ち盛りの時に戦中、戦後の食糧難時代を経験している。すなわちひもじい思いをした世代と言える。この世代にとっては新鮮なお魚は素晴らしいごちそうであった。魚を釣って帰ると家族中おいしい夕食を楽しむことができた。大漁の時はご近所に配ると喜ばれた。
そしてこれらの日本式フィッシングボートは自動排水で雨で沈没する心配がないので、川や運河、港の片隅などに係留された。マリーナは保管料が高すぎるのでこれらのフィッシングボートの保管には合わなかった。購入する時の資金はためておいたお金やローンの使用などにより工面できても、日常の維持費はポケットマネーで出さねばならない、安い方が良かったのだ。1980年頃はボートのセールスは係留場所探しで忙しかった、係留場所が確保されていれば何隻でも売ることが出来た。
自主管理艇
やがてそれらの河川などに係留された船は「放置艇」と呼ばれるようになったが、オーナーは決して放置していたわけではなく、大事な財産なので毎週係留状態を確認に行き、自主管理をしていた。放置したのはお役所、水面管理者で彼らが「放置艇」とに名称を付けたのはアッパレと言えよう。
自主管理係留艇が増えてくると、中にはマナーが悪い人たちもいて、早朝の騒音、ごみ捨て、不法駐車などの問題が起き、付近の住民からの苦情が多くなった。水面管理者も仕事に目覚め、これらの「放置艇」を排除することに熱心になった。
放置艇
この方法には地域によって差があり、横浜のようにボートの保有率の低いところでは係留禁止条例を作るなどして、とにかく排除一点張りであったが、広島のように100人に1隻と保有率の高い地域では異なった対応がされた。100人に一人とゆうことは30~40世帯に1隻ということになり、対策会議のメンバーに保有者がいたり、親戚・知人・関係者が保有しているわけで、こういった地域では排除と共に受け皿を作ることも同時に行われた。そしてこれらの地域には大きなボートパークが作られ、秩序ある保管が実現されていった。
ボートパーク
この日本式フィッシングボートによる日本のボーティングの発展もバブル崩壊とともに消えていった。バブル崩壊による景気の低迷、放置艇対策が厳しく新たな係留が行えなくなったことなどもあるが、最大の理由はこの日本式フィッシングボートの普及を牽引していた世代の老齢化である。1930年生まれの人は1990年には60歳で、新たなボートの購入力は衰えたわけである。
それからさらに30年、現在もまだ約5万隻の放置艇があるそうだが、それらの多くは本当の放置艇かもしれない。「おじいさんのボートが川につないであるけど、この間見たらどけるように張り紙がしてあったよ、どうしようか」「そうだね、でもお金はかかっていないのだからしばらくそっとしておこうか」そんな会話が聞こえてくるような気がする。