日本のボート事情 ⑤ 漁民が鍛えた日本の船外機 [2021年01月15日]
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トーハツが戦後初めての船外機‘(OB-2,1.5馬力)を1956年に発売した。しかし、漁師さんたちはすぐには使い始めなかった。1959年ごろよりポチポチ和船に取り付けることが広まりだし、1961年にトーハツに加えヤマハがP-3(3馬力)を発売したこともあり普及し始めた。しかし3馬力では手漕ぎの代わり程度であった。1970年代に入ると国産船外機も20馬力の時代になり、60年代から始まったFRP和船との組み合わせで船外機付きの動力漁船の時代になった。さらに1974年ヤマハ発動機が米国マーキュリー社の技術指導の下760㏄・55馬力を開発し、船外機付き漁船は全国に普及していった。ヤマハ発動機は各地で型の違う漁船に対応する為、大船渡に漁船専用工場を建設した(1973年・東北、北海道向け漁船を製造)。
船外機付き漁船
漁船で使われる船外機はレジャーボートとは大違いで、とにかく毎日使われる。レジャーボートはせいぜい週に1~2回なので使用頻度に大きな差がある。もし不具合が発生すると、漁民は販売店を呼び出して、今日中に直してくれ明日朝の出港までにと要求する、されにもし直らず明日出漁できなかったら漁業補償を要求するぞというわけである。販売店は徹夜で作業する、場合によっては備えておいた予備機を貸し出してとにかく出漁に間に合わせる。
漁船は行きは軽荷状態である、しかし大量の漁獲物を積んで帰るときはとても重くなる。1日の内で軽負荷と超重負荷の両方で使用される。例えば北海道のコンブ漁では、良い漁場に早く行くため全速力で向かってゆく、帰りは水を含んだ昆布2トンも3トンも積んで、その日のうちに干すためにそれでも全力で寄港する

こんぶの天日干し
船外機は自動車のようにギヤーチェンジはできない、又可変ピッチプルペラもついていない。船とのマッチングはプロペラの交換のみであるが、洋上での交換は不可能である。船外機用プロペラは何種類ものピッチ(ひねりの角度)が用意されており、ボートの形状、重量などに合わせて選択される。レジャーボートの場合はおおよそ使用重量は決まってくるのでプルペラを合わせやすい。漁船の場合はどうかというと、通常行きの軽荷状態に合わせてプルペラを決めることが多い、これはとにかく良い漁場に早く着きたいからである。従って帰りの重負荷の時はエンジンにかかる負荷はオーバーロードとなり、当然故障しやすくなる。
コンブ漁
各メーカーはこの状態に対応する為、改良に次ぐ改良を重ね、より耐久性の高い、そして海水に強いエンジンを開発していった。
1983年 ヤマハは米国市場への進出を開始した。販売、そしてサービスネットワークを構築していった、特にサービス網に力を入れていった。トーハツも日産と提携し販売、サービス網の充実に力を入れていった。
日本の漁民に鍛えられた、高品質で耐久性の高い、そして海水に強い日本の船外機は米国ボートメーカー、ディーラー、ユーザーの信頼を得ることに成功し、輸出は順調に伸びていった。1980年代後半に始まったボートメーカーによる船外機セッティング方式(OEMセッティング)がひろがると、多くのボートメーカーがヤマハほかの日本製船外機を選択した。
さらに、OMCの破産(ボンバルディエ社が吸収)、4ストロークへの転換により日本製船外機のシェアはさらに高まり、世界市場のおよそ7割を占めるようになった。